何かの前触れがあったわけじゃない。
いつものように、盛りを迎えた白梅を愛でるため草履を突っ掛け庭に出ただけだ。
別に雷も鳴らなかったし、空も歪まなかったし、怪しげな扉とか胡散臭い神やら天使やらも出てこなかった。
だのに、何故か、可憐な白い花を枝に纏う梅の木の根元に、ソレはちょこんと鎮座していた。
「なにこの肉塊」
肉屋で買えば結構な値段になりそうなブロック肉が、満開の花に囲まれ地べたに置かれている様は大層シュールである。
誰かの嫌がらせか、または何者かの悪意有る悪戯か。
取り敢えず放置しておいても腐るだけだし、処分してしまおうかと近付いてみると、食欲をそそるような芳香が鼻孔をくすぐった。
よく見れば肉塊の端っこが程よく炙られている。
ぐーきゅるるると鳴った腹を抑え、そういえば昼飯がまだだったと溜め息を吐いた。
焼きかけの肉塊はもしかしたら家の誰かが昼飯用に購入したもので、炙ってる途中にやちるか剣八に奪われそうになって攻防の末落としてしまったものかもしれない。
砂まみれの表面を洗って汚れを削いで中の軟らかい肉だけ食えないものだろうか。
「牛か豚か…馬、は無いだろ。叩きにしてわさび醤油…や、待てよ…焼き肉に塩胡椒も良いな…」
出さなくても良い貧乏根性を発揮した己は、見るからに高そうなブロック肉を拾おうと身を屈め、その体制のままびしりと固まってしまった。
何故ならば無造作に置かれていた肉塊が全身…否、全体?を震わせながら、伸ばされた指先から逃げようとむにむに動き出したからだ。
しかも何となく悲哀と絶望と哀願を混ぜ合わせたような雰囲気で此方を拒否している……ような気がする。
しかもなんかちょっと怯えて居るような気もする。
「イキが良い…訳じゃねえよな、流石にそりゃねえよな」
ひきつる口元を気にする余裕もない。
うにうにふにふにと一生懸命な肉塊はついに泣き出してしまったらしい。
らしい、とか、気がするなどの言い回しが多いが、実際そんな感じなのだ。
肉塊の意志が何となく伝わってくるのだから、そうとしか言いようがない。
ぷるぷると哀れに震える肉塊は、食べないでくれと訴えている様であった。
「…悪かったな、食ったりしないから、そんな怯えんな」
今更食えと言われても全力で遠慮する。
ぎこちなく微笑みながら何もしないとアピールすると、肉塊は徐々に落ち着きを取り戻した様子だった。
不思議な肉塊を人差し指でプニプニとつつき、感触を楽しみながらどうしたものかと唇を尖らせる。
見た目がブロック肉そのままだから気が付かなかったが、もしかしたらコイツは十二番隊から逃げてきた生物なんじゃないだろうか。
何かの実験の果てに逃げ出したか、捨てられたか。
「お前、帰る場所は有るのか?」
肉塊が力無く首を振る。
無論首なんか無いが、要は雰囲気だ。
おかしな話だが、己は此処数分のうちにこの肉塊をとても気に入ってしまっていた。
流行りの言葉を使えば“グロカワイイ”とでも言えばいいのか。
とにかく、何となく可愛いのだ。
あくまでも何となくだが。
「野晒しじゃキツいだろ。家に来いよ」
食べたりしねーから。
ぽかんと呆けた肉塊を掬い上げ、砂を払う。
グロテスクな見た目とは裏腹に、肉塊の表面はしっとりスベスベだった。
変な汁も血も滴っていないし、柔らかく温かい抱き心地はなかなかのものである。
わたわたと暴れているつもりらしい肉塊に耳を近付けると、僅かに鼓動が感じられた。
【肉塊と死神】
(…よし、生臭くないな。俺の部屋に置こう)
(か、顔が近いです!)
(……ん?何か照れてる…のか?)