ss






―――何を、見てる


開きかけた唇を一文字に引き結び、踵を返した。


真白い羽織を夕焼けに染め佇む男。ちらと見えたその眼は、深く暗い虚そのもの。何もない、誰も居ない群青が茜色の世界と相反している。


この男の瞳には、どのような世が見ているのだろう。美しく有るだろうか、温かく有るだろうか。優しく、有るだろうか。

己が生涯掛けても知ることが出来ない景色に、お前は一体何を思う。鳥でさえ辿り着けはしない遥か彼方、彼岸の華が咲き乱れる此岸の岸辺に、俺達は……俺は、居るのか。


紅く拡がる空の色に、隠し続けた幼き憧憬がじりりと焦げる。消せと言われて消せる訳もなく育ち続けた恋慕の情は、今や燃え盛る黒き焔となり、やがてはこの身を喰らい尽くすに相違無い。


もしも、想い伝え女のように請い喘げば或は己を見るのかもしれない。出来る筈も、する筈もない考えがぐるぐると頭を廻る。




冷えた風が強く髪を拐った。




(幾年、幾年、嗚呼いくとせ、)(俺の知らない『お前』を知ることは終ぞ能わず、)(そして)(これからも。俺の知らない『お前』はぞろりぞろりと増えるのだろう)




埋らないのは時間か溝か