朝がダメだ。
目が覚めて〜薬が効き始めるまで。
気分が沈む。
思考がまとまらない。
何か思い出しかけて…理性で止めようとする。それの繰り返し。
主人への不信感が強くなる…
任せてはダメなんじゃないかと焦る、不安になる。
ダメダメだな、私…
薬飲んでやっと、なんだと気付く。
そして落ち込む。
一生薬飲まなきゃいけないという現実がそこにある。
今までは漠然とだったけど…実感した。
けっこうショック…かな。
悪いことばかり考える。
否定するけど消えない。
深く考えちゃいけない。深みにハマる…
そう分かっているのに、次から次へと湧き出てくる。
短時間でも、けっこうキツいよ。
憂いに押し潰されそうになる。
こんなのが一日中続いたら、潰されないよう抵抗するのに手一杯で疲れちゃうね。
悔やまない。
長いこと…大事なことを忘れていた気がする…
悔やむのは、まだやれることがあったはずだと思っているからだ。
別の方法があったはずだと言われ続けて…そう思い込んでる。
他人に出来るなら、自分にも出来るはずだと思い込んでる。
自分に出来ないのは、自分の努力が足りないからだと思い込んでる。
だけど…そうじゃない。
他人と自分は違う。
他人が生きてきた道は他人が生きてきた道。
自分が生きてきた道は自分が生きてきた道。
共感は得られないかもしれない…免罪符にはならないかもしれない…
それでも…私は精一杯頑張ったじゃないか。
他人と違っても…精一杯頑張ったじゃないか。
頑張る方向が違う…
確かにそうかもしれない。
だけど…それが分かる人がどれだけいるというのだろう。
土台が違うのだ。
最初から足りないものがあるのだ。
それは私のせいじゃない。
誰の…せいでもない。
悔やむのをやめようと思う。
他人が何を言おうと、私に出来た精一杯はソレだったのだから。
他人の人生は教本にならないのだから。
他人が絶対正しいわけではないのだから。
誰が認めなくても…私は精一杯やった。それでいいじゃないか。
他人の言葉に振り回されるのをやめよう。
他人の人生観で自分の人生を悔やむのをやめよう。
私はやれるだけやった。
それが私にとっての真実だから…
テンションは低め。
体調は悪くない。
もっとも、起きっぱなは頭痛がしていたけど。
でも、それも朝ご飯食べて薬飲んで三十分もしたら治まった。
着替えて布団上げてベッド折り畳んで…少し出掛けて帰ってきて…軽く掃除して洗濯物畳んで軽く運動して…夕飯食べて軽くゲームして…お風呂掃除して…お風呂の用意して寝床作って着替え用意して入浴して…
物足りない気がするけど、たぶんこんな感じでいいのよね?日常って。
テンションがずーっと低くて気持ち悪い。
でも一昨日や昨日に比べればマシ…たぶん。
頭の中に何も入ってこない。
文章は目で追うけど…理解するまで時間がかかる。
何かを考えているんだけど…思考が空中分解する。
何をやっても気分がのらない。
集中出来なくて…溜め息が出る。
ロックよりバラードが聴きたい。
今は喋りたくない。
一人でいたい。
しばらく何も考えず、ゆっくりしようと思う。
たぶん私は疲れちゃったのよ。
一生懸命アタフタして…
だから今は…心と体を休ませよう。
私は十分頑張った…頑張ったから…病んだのだから…
もう…休んでもいい。ホントの意味で元気になるまで休んでもいいの。
そう思うの。そう…思うのよ。
心身不調を治すには顕在意識に、その原因(傷付いた自我)を認識させ、積極的に癒やすと良いと言われている。
が、一人でやるのはオススメ出来ない。
何故なら、自分一人で全てを解決しようとすること自体が病んでいる証拠だから…
病んでいる自分に健全な癒やしは出来ないから…
自己修復自体は案外簡単。
しかし、それは屈折している…やればやるほど屈折していき、健全ではなくなる。
私の間違いは、そこにあった。
私は長い間、病院にもかからず、他者に話すこともなく、ひたすら自己修復に精を出した。
『自分のことは自分でしなければならない』
『他者を巻き込むのは甘え。罪である』
この2つが私の中に絶対冒してはならない規則としてあったからね。
だが、この規則自体がある意味正しく、ある意味間違いでもある。
病んだ精神状態で修復しても、更に病むだけだ。
そして、更に傷付き病むのである。
結局、無限ループは私から全てを奪った。
私の自己修復は対処療法でしかなかったから…問題を残したまま…
いや、言い換えれば問題だけが残ったんだ。
そして、直面し続けている…
最初は逃げた。それまで通り、対処療法で自己修復した。
次は向かいあった。
しかし、呪縛からは逃れられず、自我を更に傷つけた。
今、悩む。
私は健全な私など知らない。
病んだ私しか知らない。
そこに恐れがある。
自覚することが良いこととは限らない。
自覚したが故に苦しみ悩むこともある。
恐れ故に踏み出せず…肯定と否定のループに嵌る。
還る自分を知っていたならば…その自分が成長した姿を想像することが出来たならば…きっと、闇を晴らすことも出来るだろうに…
意識は顕在意識と潜在意識の二部構成だと言われている。
(私は三部構成…若しくは、それ以上あるのでは?と思っているが)
まず顕在意識。
全意識から見れば、たった一割にしか満たない意識。
顕在意識とは常に自覚している意識で、社会的な基準や自分の価値観で物事の善し悪し判断し、それに伴った行動や考えを促す表向きの自分にとっての司令塔(理性)…だと私は認識している。
次に潜在意識。
全意識の実に九割を占めると言われている意識。
潜在意識とは無意識とも言われ、経験し得た全ての記憶と全ての感情、全ての願い(欲求)を覚えていると言われている。
因みに、現実の経験だけではなく、幻覚や幻想、空想や仮想現実(夢)も、区別することなく覚えている。
そのため、現実の経験で傷付いた自我を空想や仮想現実での経験で癒やすことが可能となっている。
また、通常、顕在意識上に浮上する感情は、これらの情報から導き出され、理性によって加工された感情である。(無加工もある)
更に言うなら、共感や反発、無意識の行動(物事を避けたり、好んだり)も、これらの情報から導き出された結果であり、心身の不調(適応障害など)は無言の自己主張であり自己防衛であるとも言える。
尚、潜在意識は少し自覚すれば顕在意識に浮上するとも言われている。
過去や仮想現実の一部を思い出す行いも、それにあたる。
が、実際は自分にとって自覚するとヤバい部分は、なかなか思い出せない(思い出さない)ようになっているので、潜在意識自体、何層にも分かれている…というのが私の見解だ。
まあ、諸説は多々あるから…ね。