19日の晩に母方の叔父が急変したという連絡があって、日付跨いでから「死んじゃったって…」っておかんから電話がきて、急遽群馬まで葬儀に出掛けてきました。
まだ44歳で、子供二人とも小学生で、三姉弟の末っ子で、長男で、結婚してまだ15年かそこらだったのに。まだまだこれからだったのに。
私が京都にいることを知って、京都に遊びに行くから、って言ってたのに。結局もう一生来られないとか信じたくない。
3年くらい前に胃癌が見付かって、手術して、しばらくは体調も良さそうだったのに、リンパに転移が見付かったらしくて(それがいつかは私は知らない)、年始に会った時は既にあまり体調が良くなかったらしい。
GW前からもう寝たきりで、入院したのが本当につい先日とかだったって。ずっと身体中痛がってたって。痛くて寝らんなかったんだって。鎮痛剤、効かなかったんだって。
最期、見た顔がね、痩せちゃってて、生前最後に会った時(年始だったから半年も経ってないのに)よりもだいぶ老けちゃった感じで、ひどく疲れた顔だった。でも表情はそうでもなくて、一番最初に出てきたのは お疲れ様 って一言だった。
叔父さんのことは、おかんとかばーちゃんが呼んでた愛称にそのまま さん をつけて呼んでたんだけど、どうやら最初にその呼び方をし出したのが私らしくて、従姉妹とかもずっとそうやって呼んでた。
私が小学生の頃に結婚して、幼いながら 綺麗な嫁さんもらったなー とか思ったの、今でも覚えてる。言ってしまえば、覚えてるくらい最近だったんだ、結婚したのも。
そんで、子供できたら 愛称+さん の呼び方止めて 叔父さん て呼ぶつもりでいたのに、タイミング逃したり、しっくりこなかったりして結局ずっと、一度も 叔父さん て呼ぶことはなかった。
田植えの時とか、子供産まれたばっかりの頃は叔父さん一人でばーちゃん家に帰省して、終わってからゲームの相手してもらったりもした。本当に小さい頃から、ずっとお世話になってた。
子供が二人になって、上の子も大きくなって、親戚が集まると賑やかになってきたのがほんの数年前とかで。
叔父さんとこの子供が産まれるまで、母方の従姉妹は二人だけだったし、年齢も近かったけど、叔父さんとこの上の子なんて私と11歳も違うから、まぁ可愛くて仕方ないに決まってるよね。元気過ぎてたまに嫌になるくらい。
幼稚園はともかく、息子の小学校卒業って最初の一大イベントをさ、見届けずに逝ってしまうなんてさ、誰も思ってなかったよね。
これから先、娘の反抗期には パパうざいしくさい とか言われるんだぜー、なんて言って笑ってたのにさ、それも叶わない。それでしょげてる姿見て笑おうと思ってたのに。
子供が小さい分、これからの楽しみだって一杯あっただろうし、自分だってまだ44歳で若かったんだから、まだまだできることだって、やり残したことだって、一杯あったはずなのに。
あまりにも急で、あまりにも早すぎて、呆気なくて、悲しいし虚しいんだけど、悔しさが一番強い。勿体ない。無念すぎる。
ばーちゃんなんか、まさか息子を見送るとは思ってなかっただろうし、うちのおかんも叔母もまさか弟をこんなに早く見送るとは思ってなかっただろうね。もっと年取ってたらまだしも、まだ44の弟を、なんて。
私も従姉妹も、叔父が結婚してから叔父一家が段々賑やかになっていく過程をずっと見てたし、記憶にちゃんとあって、覚えてるからこそ、とてもショックを受けた。
本当に、おかんからの電話に出た時は声にならなくて、言葉失って、頭真っ白で、一気に全身の力が抜けて血の気が引いた。
良い叔父さんだった。もう何処も痛くないだろうから、ゆっくりお休み。ありがとう。
葬儀の式場のモニターにたくさんの写真が映されてたのを見て、短い間だったけど、短いなりに家族の思い出は一杯あるみたいで良かった。写真て素敵だね。
お盆には大好きだったビールを買っていこうと思います。ケチらずにエビスをね。
………
とにかく今は、食欲はほとんどないし涙と溜め息しか出ない。
明日から仕事だけど、精神面だいぶ疲れてて動ける気がしない。
昨晩は実家に一度帰ったから落ち着いていられたけど、一人だと駄目だね。
人ん家言って喋るだけ喋ってきたけど、なんか申し訳なさすぎて。暖かいの、落ち着くんだもん…