両親の海外転勤が決まった。
それは突然のことで、オレは二年生の春休みを満喫している最中だった。
元々うちの両親はプログラマーとエンジニアという職業柄か海外を飛び回り、あまり家にはいなかった。その分オレを育ててくれたのが祖父だったが、そんな彼も去年末に他界した。
父は言った。
「今度はいつ帰って来られるかわからないんだ」
母は言った。
「一人暮らしなんてできないでしょう」
つまりは一緒に来いということだが、オレはそれを断った。
考えてみて欲しい。今まで築き上げてきた人間関係を一からやり直す労力を。しかも日本語どころか英語すら通じるかもわからない海外生活である(両親は途上国にコンピューター技術を定着させる事業を担っていた)。
それに、通い続けた学園を卒業したかった。それくらいの未練はあった。
いや、まあ、他にも色々と理由はあるけど。
とにかくそんなわけで、これで晴れて一人暮らしのはずだった。
ーーが、やはり両親は心配し、隣の家にオレの世話を頼んだのだった。祖父の代からの付き合いである。隣人一家は快く承諾してくれた。
▽ ▲ △ ▼
「………て、……きて」
声とともに揺り動かされる。
最初はゆさゆさとしていたリズムが、段々と激しくなっていく。
「起きて!起きなさいよ!!」
ついに耳元で怒鳴られる。
「……あと五分…」
ていうか五分どころかずっと寝てたい。
寝返りをうちながら枕を抱きしめる。
「起きなさいってばぁ!!」
ひっぺがされた。最悪だ。
しかもこいつ人の上に馬乗りになりやがった。
「…重いっつの」
仕方ないから薄く目を開けると、至近距離に顔。
形の良い眉を吊り上げた、怒りの形相が、ずずいっとさらに近づく。
「レディに重いはヒドくない!?」
「誰がレディだ。どけばか」
てか近い。やめろ。息がかかる。
「起きない人が悪いの!!」
ようやく腹の上からどいたこの女が、くだんの隣人一家の一人娘である。
「つか勝手に人の家入ってくんなよ」
「おばさまから許可貰ってんもーん」
そうだった。
学年が一緒のせいで、オレの世話はほぼこいつに一任されている現状だった。
しかも、今年は同じクラス。これから教室まで、いや、教室に着いてからもずっと一緒にくっついてくる。
「ちょっと、朝から辛気くさい顔しないでよ」
誰のせいだ。
心の中で悪態をつきつつ、やりたい放題な少女を観察する。
これでも黙っていれば美少女の部類に入るか入らないか、という容姿である。たぶん。
まず目を惹くのが、愛嬌のある大きな瞳。長い睫。薄い桜色の頬。
運動部に所属しているからか、引き締まった肢体。
ありふれたデザインのセーラー服を普通に着こなしていると見せかけ、さりげなくスカートの裾を膝上十センチにまで折っている。
性格がアレなのがもったいない、と思う。
「何見てんの」
「…これから着替えるんだから部屋出ろよ」
「なんでよ」
おいキョトンと返すな。
「女の子同士なんだから別に気にすることないじゃん」
「女同士でも気にすんだよ!」
オレこと水無瀬千織は、ニヤニヤ笑う高槻流夏を力の限り部屋の外に放り投げた。
今はまだ思ってもみなかった。このやりとりを毎日繰り返す羽目になるとは。