支部から引き揚げた旧作。光忠さんの格好良さはなんか影がある気がするのです。
ねつ造設定満載の現パロですので、苦手な方は閲覧をご遠慮ください。
気にしないよ!という方は、追記からどうぞ。
めぐる季節は単調で、目くるめく青春などはるか彼方。昨春、めでたく学生生活を終えたばかりなのが嘘のように、燭台切光忠は早くも生活することに飽いていた。
八月も間近な蒸し暑い日だった。時刻は午前11時半。今日のプランは午前中のみ。駅前で待ち合わせて、駅ビルのカフェへ直行。色とりどりのスイーツが今日の「彼女」のお目当てだ。少し遅れてやってきた女の子に、流れのように服装を褒め、世辞を並べた後、「じゃあ、行こうか。」と笑顔でエスコートを開始する。並んで歩きたがる彼女に合わせて、少しばかりゆっくりな足取り。楽しそうに笑いながら話す女の話の内容は、自分のこととありふれた世間話ばかりだ。
暑い中、じっと待っていたはずの光忠のほうは、ほとんど汗をかいていないことに、彼女は気づかない。日に焼けるなんて割に合わないし、汗臭い男なんて格好悪い。直前まで、冷房のしっかり効いたコンビニにいて、女が歩いてくるのを見計らって、何食わぬ顔でさも前々からいたかのように、待ち合わせの場所に立っただけだ。
けれど、彼女は気づかない。都合のいい思い込みの中で生きている人間は、目の前の事象をいちいち疑ったりしないものだ。省ける手間は省くに越したことはない。
カフェは思いのほか空いていた。人気が衰えたわけではなさそうだが、時間が早いことと、平日の午前中であることが幸いしたのだろう。もっともそのあたりも見越して今日のこの日にしたのだが。彼女と一緒にいるところを目撃する人間は少ないほどいい。席に着き、ケーキと飲み物を口に運びながら、合間に談笑する。その単調な作業の間、彼女は終始、笑顔で話し続けていた。光忠はと言えば、こちらもまた笑顔で、「そうなの」とか「格好いいね」などと相槌を打っている。
傍から見れば、彼と彼女はどう見えているだろうか。おそらく、平日の昼間にデートを楽しむ余裕のある裕福なカップル、仲睦まじい美男美女、絵にかいたような理想のカップルだ。
けれど、現実とは捉える角度によってまるで姿を変えるモノだということをよく知っている人間ならば、それが必ずしも実態と合致していないことに気付いて、目の前の光景にそこまで深い意味を見出さないことだろう。
その実、光忠は彼女の話の内容をろくに把握していなかった。その時、彼の意識にあったのは、この店の菓子がひどく安っぽい出来だという事実だけだった。
それでも、張り付いた笑みは自然で、崩れることはない。フォークでまたひとかけムースケーキの端を切り取って口に運ぶ。味覚が感知出来たのは砂糖の味だけ。フルーツケーキの名が泣きそうな代物だ。
「こっちのもおいしいよ。食べてみて。」と彼女が言った。女の子の頼みは断れない。
はい、あ〜んという掛け声とともに差し出されたフォークの上のシフォンケーキを口に入れ、咀嚼する。生クリームはただ油っぽいだけの植物性、シフォンは安い小麦粉とマーガリンを使っているのが見え見えで、化繊のスポンジを食んでいるような気がした。真意とは裏腹に、しれっと「悪くないね」等とのたまえる自分はまったくどうかしている。
退屈だった。安い食材で作られた菓子を頬張り、つまらない話をBGMに、張り付けたような笑みを浮かべているなんて、格好良くない行為は苦痛でしかない。
(でも、これは「仕事」だ。しょうがないよね。)
彼女は、関西を基盤とする、新進気鋭の建設会社の社長の娘だ。主の商売敵の娘である彼女に近づいて、有益な情報を得ることが光忠の役割。彼の仕事はプロの「諜報員」、いわゆるスパイというやつだ。そして、仕事だというだけで、涼しい顔で、どんな行為もこなしている己が我ながら不思議で仕方ない。けれど、それこそが、天賦の才というものだろう。見目麗しく格好いい「燭台切光忠」ならでは仕事だ。
(そうだね、それならこれも悪くないね。)
そう納得して、ふっと視線を挙げた先に、それはいた。
片方しかない目がとらえたのは、青。この都心のこじゃれたカフェに不似合いな、濃紺の和装に身を包んだ若い男が、窓際の席に座って、にこにこと笑いながらこっちを見ていた。
(白昼夢…?)一瞬、退屈に倦んだ己の脳が見せた幻かと疑った。
けれど、目が合った瞬間、ひらりと手を振られ、見間違いではないと確信する。確かに彼はそこにいた。周囲の人間の目には映らないようではあるけれど、興味深げに、通りを行く人々を、ガラス越しに見ている。光忠は「彼」を知っていた。
ふっと、青い麗人がふたたび、こちらを見た。ほんのり色づいた桜の唇が、ゆっくりと言葉を紡いだ。そこに、音はない。誰も気づかない。誰の目にも止まらない。
けれど、光忠には確かに彼の言葉が読み取れた。
陽の傾く前に逢瀬を終えた。次の約束はしないまま、形ばかり別れを惜しんだ。都心の駅で彼女と別れ、電車に乗り込んだ。幾度か電車を乗継ぎ、長かった夏の陽が落ち切った時分になってようやく、降り立った先は、人気のない海沿いの田舎町にただひとつだけ残された無人駅だった。
この町に光忠が暮らすことを知る者は少ない。さっきまで一緒だった少女は、彼が吉祥寺の洒落たマンションで一人住まいをしていると思っている。おそらくこの先も本当のことを知ることはないだろう。今日でだいたいの情勢は読めた。彼女はもう用済みだ。使っていたプリペイド携帯は乗車前に駅頭のショップで解約したから、もう連絡を取ることもないだろう。
ふいに、さわり、っと涼風が吹いた。光忠の長めの前髪を撫でるように揺らして、吹き過ぎていく。まるで、誘うかのように。
駅の端の階段を下りると、海沿いの道路へ出る。岬のほうへ道なりに歩いて行くと、右手に小高い丘が見える。そこを目指して、光忠は歩を進めた。丘の麓から伸びた細い階段。上るにつれて深くなる木々が触りと音を立てて、侵入者を威嚇している。こんな不気味さももう慣れたものだ。この町を離れて知った。生きている人間のほうが、人ならぬ気配などよりよほど恐ろしい。
そして何よりここは神聖なる「彼」らの領域だ。
(それにしても、暑い…ね。)
海風は、木々にさえぎられて上手く届かない。そのくせ、湿気だけは運んでくるものだから、ひどく蒸し暑い。湿度で溺れそうな気がした。
ようやくたどり着いた高台の上、森に囲まれたその場所には、古びた小さな社があった。
ざわり、今度は森の中から風が吹いた。その流れの先を見やると、堂の端に腰かける青い直衣がいた。
「久しぶりだね、三日月さん」
元気にしてた?なんて、あの張り付いたような笑みで嘯く。無意味だと知っているくせに、まるで旧知の「人間」と再会した時のように、問う。元気も何もない。変わるはずもない。三日月宗近は人間ではない。それを、光忠はよく知っていた。
暗がりの中のさらなる闇に満たされた堂の中、中天した月灯だけが、本尊の右手に小さく開いた窓から差し込んでいる。そのわずかな明かりだけでも、月の名を冠する彼の君の晒す肌は白く浮かび上がってくる。
手を伸ばし、その身に触れる。この身さえも夢かうつつか、光忠には知り得ない。けれどそんなことはどうでもよかった。ただ、今、確かにそこにある三日月宗近を求めることが出来る。それだけで、十分だった。
燭台切光忠は、人ではない三日月宗近をこそ愛していた。
「今日、さ。町にいたでしょ。わざと気が付くようにしてたのかい?」
組み敷いた身に覆いかぶさったまま、耳元で問う。はは、とはぐらかす様に麗人は嗤った。余裕の笑みだ。彼がいつも乱れているように見えて、溺れることはないのは神ゆえなのか。
「どうして?」
「さて、な。久方ぶりの物見遊山とでも言うておこうか。」
「嘘だね。」と即座に断じる。神は地に着くものだ。依り代なしにあちらこちらへ彷徨ったりはしない。あの時あのあたりに存在した縁のあるものと言えば、光忠の存在以外にはない。
「僕に、会いに来たの?」
「そうさな。お前は人嫌いの割に人に交らずには居られぬ性質ゆえ。気がかりと言えば、気がかりだな。」
そっと、伸ばした手に頭を撫でられる。等しく、万物を愛でる神の御手。子どものような扱いだけれど、それだけで穢れがわずかながら癒える気がした。
「変わらないな、三日月さんは。」
諦めたように、身を離す。散らばった着物の中から洋服をのけて身に着けていく。もう十分だ。それを察してか、三日月は打ちかけられた襦袢をそのままに、小さな明り取りから差し込む光の筋を穏やかな目でただ見つめている。
初めて出会い、組み敷いた時もこうだった。あの頃の光忠は高校を卒業したばかりで、人目にこそつかなかったがずいぶんと荒れていた。そんな時に現れた「神」だというこの君に、この上ない非礼に及んだのも、いっそ神罰にでも当たればという自棄から出たもので。けれど、無礼を咎めるでなく、恐れるでなく、ただ受け入れてほほ笑んだ麗人を前に、初めて他人の前で涙した。その時も彼の君の優しい手は光忠の頭を撫で、夜明けの薄明かりが作る光の道に眼をやっていた。
その日から、光忠は時折この町で彼を見るようになった。ほとんどの場合、ほかの者の目には映らないその姿を見とめるだけで、穏やかな気持ちでいられた。在るがままに在り、人目につかずともその在り方は変わらない。
「カッコいいね。」
人であればこうはいくまい。けれど、いかなる時もこの君にだけは恥じぬように、せめて終わりという裁きの時まで己の足で立っていたいと願う。
「またしばらく、ここへは戻れなさそうだけど、帰った時には必ずお参りに来るから。くりちゃんや後輩の子をよろしく頼むよ。」
「あい、わかった。あれは、素直な子だ。」
「面白いからって、からかい過ぎないでよ。同田貫くんは突っ走りやすいんだからね。」
はっはっはと曖昧な笑い声がして、これは当てにできないと光忠はため息をついて、堂を出た。
海沿いの町は朝が早い。夏になると。始発が通る頃には、もうとうに明るくなっている。改札もないコンクリのホームを抜け、きしみながらゆっくりと滑り込んできた電車に乗り込んだ。また嘘と駆け引きの日常へ戻っていく。けれど、昨日よりははるかに心持は明るかった。来た時と同じような悲鳴を上げながら、ゆっくりと電車が走りだす。
遠ざかりゆく車窓から、ふと目をやった小さな駅の端に、あの青が翻るのを見た気がした。
終.(あなたがいるから、僕は僕を失くさずに、ここへ帰って来られるんだ。)